『女として生きる』を撮ってる間にテレビはずいぶん変わったようだ

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 27-12-2012

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問題は男性になった(なりたい)女性があまりに出てこないこと。
YOUTUBEかウェブにないだけで、テレビ出演はしているのだろうか。

千葉県立佐倉高等学校で上映

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 07-05-2012

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 山形国際ドキュメンタリー映画際で、本作を見ていただいた大間先生の協力で、千葉県立佐倉高等学校で上映をしてきました。

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佐倉高校は一部の校舎が文化財にも指定されている歴史の長い学校で、NHKテレビ小説「梅ちゃん先生」のロケ地としても使用されています。都心の時間の流れとは違う、緑の多い落ち着いた空気が印象的です。せっかくなので校舎を見学させてもらいました。私は中学卒業した後、高校を中退したのでわくわくしながら廊下を歩きました。校舎独特の匂いや掲示板の報知読みながら、昔のことを思い出そうとしました。が、実際に思い出したのは相米慎二の「台風クラブ」でした。
 一時間ほど回ったあと上映会場へ。来場数は40名ほどで、女子生徒が多めでした。時差ぼけした頭でトークがしっかりできたのか疑問ですが、とても楽しむことができました。感受性の強い若い子に見てもらいたいとおもい作った映画なので、ジェンダーについて考えるきっかけになったらと願っています。

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多くの高校生にとって分からない言葉がたくさん出てきたと思いますが、私自身映画をみて全てが分かることもないので、これでいいような気がします。お越しいただいたみなさま、校長先生、ありがとうございました。

組長、ニューハーフと偽装結婚容疑 「女性と思ってた」

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 21-02-2012

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朝日新聞 組長、ニューハーフと偽装結婚容疑 「女性と思ってた」より転載

女性への性転換手術を受けたフィリピン人のニューハーフの男を妻と偽って婚姻届を出したとして、福岡県警は12日、指定暴力団道仁会系組長の川口勇 容疑者(60)=福岡県那珂川町片縄2丁目=を電磁的公正証書原本不実記録・供用の疑いで逮捕し、発表した。「女性と思っていた」と否認しているという。

発表によると、川口容疑者は2009年2月26日、福岡市博多区の区役所に、川口容疑者を夫、フィリピン人の男(40)を妻とする婚姻届を出し、戸籍にうその記録をさせるなどした疑いがある。妻の名前は偽名を使い、女装した写真を貼った偽造旅券を窓口で示したという。

県警などは昨年3月、別のフィリピン人のニューハーフの男3人を出入国管理法違反(不法入国)の疑いで逮捕。3人が、川口容疑者との婚姻届を出した男の 紹介で入国したと話したことから、川口容疑者が浮上した。暴力団がフィリピン人を組織的に不法就労させていた疑いがあるとみて、川口容疑者ら2人の関与を調べる。不法入国容疑で逮捕された男らの一部は「2人は愛し合っていた」と話しているという。

先日、「女として生きる」を前橋映像際で上映した際も朝日新聞にこうゆう記事が載りました。

「RADIOACTIVISTS」は群馬での上映は初めて。前橋出身の芸術家が身体を使ったパフォーマンスを撮った作品、性転換した男性の記録映画など、 20本近い作品が上映される予定。

「女として生きる」は性転換した男性の記録映画なのだそうです。

分かりやすく噛み砕いて報道しているのかどうか知りませんが、上記の偽装結婚記事も、逮捕されたフィリピン人の友人による証言から、「組長」が「女性への性転換手術を受けたフィリピン人」を「女性と」扱い「愛し合っていた」のは確かで、問題は「暴力団がフィリピン人を組織的に不法就労させていた疑い」を入国管理局がかけたことです。

「ニューハーフの男を妻と偽って」「戸籍にうその記録をさせ」「女装した写真を貼った偽造旅券を窓口で示した」という記事は説明不足の蛇足であって、日本に根深く残っている戸籍制度の問題を浮き彫りにしています。

私も例えばパートナーと家を借りる際は、不動産屋に同棲カップルと運良く見間違えられ、「彼女さんのサインをここにお願いします。」と促されます。逆にパートナーは運悪く「ニューハーフの男を彼女と偽って」とその場にはいない第三者からは見られている。そして、私は書類に間接的な「うその記録をさせ」られたことになり、「女装した写真を」運転免許証か何かで提示したことになるのでしょう。数日後、不動産屋も私たちもハメられたことに気付く。私たちも「不法就労」とは異なった形で、法に触れる可能性がないわけではありません。

これが制度の力です。

江畠香希 監督インタビュー 「すべての人が違う」ということを描きたい

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 10-02-2012

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YIDFF 2011 ニュー・ドックス・ジャパン
http://www.yidff.jp/interviews/2011/11i073-2.html より転載

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Q: トランスジェンダーの人を撮ろうと、はじめから決めていたのでしょうか?

EK: はじめは、私自身の話を撮りたかったんですけど、自分にカメラを向けるのは簡単に方向性が決められるし、とても恣意的な感じがしたので、別の企画書を作って撮影を始めました。しかし、まったく違うものが撮れてしまう。最終的に、80時間以上あったテープの中で企画書に合うところをピックアップして作品にしました。それは結果的に、自分を説明しているんじゃないか、とも思います。

Q: セクシャルマイノリティの人の、居場所がないのだという問題を提起しているように感じました。

EK: 居場所もないと思います。男性から女性へ、女性から男性へ移行して行く間の、どっちつかずの状態にいるときに精神的に不安定になって、よりどころを求める。たとえば、それは精神科医のカウンセリングだったり、クィア学会、GID(性同一性障害)学会であったり。そういうところにいかざるをえない。とくに 20代前半でトランスしたいという人は、ショーパブで働いて医療費を稼ぎながら少しずつトランスしていきます。そういう仕事はキャリアにならないし、学業も疎かになる、そして将来も見えなくなる。問題意識はあります。

Q: 監督がこの映画で一番伝えたかったことは何だったでしょうか?

EK: マスメディアに出ているおねえキャラとかニューハーフという人たちは、個性が描かれるというよりは、視聴率のために見せ物としてのおもしろさだけが重要視されて描かれているように見えます。またNHKでも病気なんだなとか、医療の問題として描かれているように感じていて、当事者から見てこのマスメディアでの描かれ方は違うんじゃないかなと思っていました。この映画の中で一番伝えたかったことは、「すべての人が違う」ということです。「女性」の中にも差異はあるし、映画の中の「トランスジェンダー」と呼ばれる人たちも考えていることが違ったりします。それは、小さな差異かもしれないですけど、実はそこには個別性があって。ジェンダーやセクシュアリティなどの二元論に陥らない多様性をこの映画で描こうとしています。見てくれた人ひとりひとりが自分の中で個別性を見いだしてくれたら嬉しいです。

Q: 個別性を認めて、ありのままの自分でいることが難しいような気がするのですが、トランスジェンダーの人も、そうでない人も、どうしたら生きやすくなるのでしょうか。

EK: そうですね、難しい質問です。私の映画を上映すると、質問してくれる人がたくさんいます。そこで手をあげてくれた人が、「私」の物語を、よく話すんですね。私は、こうで、こんな経験をしたんですとか。映画をみて自分の状況を説明したくなったんだろうなと思います。みんなが自分の話をしてくれるという意味で、私の映画がひとつの壁を突破するきっかけになってくれたことが、すごく嬉しいんです。そういう場が無いと相手のことが全然見えてこない、わからないので、そういう場が作られていくことがいいんじゃないかと思っています。

Q: 次回作は、どのような問題をとりあげるのですか?

EK: 不当逮捕の映画を作りたいです。反原発のデモで、身内に逮捕者が出たのですが、その時の状況が本当に暴力にまみれていました。こうした暴力を無くすために、今マスメディアが伝えないことを映画で発信し、マスメディアを動かしていくことが重要で、変える力を映画が持っていると私は信じています。

(採録・構成:久保田智咲)

インタビュアー:久保田智咲、渡邊美樹
写真撮影:白築可衣/ビデオ撮影:白築可衣/2011-09-23 東京にて

キンバリー・リード『PRODIGAL SONS』

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 06-09-2011

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2011年2月に松嶋×町山 未公開映画を観るTVで放送されたドキュメンタリー映画『PRODIGAL SONS』

男性から女性へと性転換したキンバリー・リード監督のカミングアウトから、脳損傷を患っている義理の兄マークが、アメリカを代表する監督オーソン・ウェルズと当時の大女優リタ・ヘイワースの息子だということが明らかにされていく。(未見です。)

香味庵クラブで会いましょう!

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 31-08-2011

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ちょうど英語字幕を作っていた7月下旬、山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波のラインナップから落ちたことを知った私は、もうがっかりして近くの蚕糸の森公園へカモを眺めに行きました。
蚕糸の森公園のカモは水浴びしながら、まったりと水面を泳いでいました。
海外映画祭のデッドラインに追われていた私はその姿に癒され、携帯のカメラでカモをパシャパシャ撮りながら、足を蚊にくわれていたのでした。

忘れもしない8月5日、gmailに一通こんなメールが届きました。

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江畠香希様

始めてメールを差し上げます。
山形国際ドキュメンタリー映画祭「ニュー・ドックス・ジャパン」プログラムのコーディネーターをしております※※※と申します。

日本の新作ドキュメンタリーを紹介する、この特集プログラムの1本として、『女として生きる』を上映させていただきたいと思っております。
応募されたアジア千波万波での上映ではありませんが、いかがでしょうか。
登場する女性たちの物語の数々が、切実でもあり、共感する部分もあり、作品の熱量に惹き込まれました。
ぜひとも紹介させていただきたいと思っています。

日程は10月6日(木)~13日(木)となります。また本プログラムのラインナップの公式発表は、お返事をいただいた上で行います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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一読しただけでは、よく分からなかった内容が次第に飲み込めてきました。
すぐに共同制作者の浦上毅郎に報告し、電話口で泣きながら喜びを分かち合いました。
山形国際ドキュメンタリー映画祭に初めて参加したのは2009年のことです。
新宿から深夜バスにのって、山形に3日間滞在しました。
その3日間で朝から晩まで観た映画は計12本。

アマル・カンワル『稲妻の証言』
リシャール・ブルイエット『包囲:デモクラシーとネオリベラリズムの罠』
スーザン・モーグル『私と運転席の男たち』
マルチン・マレチェク『オート*メート』
ナンナ・フランク・モッラー『共にいよう』
エディ・ホニグマン『忘却』
佐藤零郎『長居青春酔夢歌』
ブレット・ゲイラー『RIP!リミックス宣言』
ジャン=ピエール・デュレ アンドレア・サンタナ『生まれたのだから』
ハルトムート・ビトムスキー『ダスト‐塵‐』
ギー・ドゥボール『分離の批判』
ギー・ドゥボール『スペクタルの社会』

コンペティションで上映されるからには当然、ペドロ・コスタやアピチャッポン・ウィーラセタクンのような目を見張る作品があるのではと、各作品評点しながら映画を観ていました。
中には私にとって首を傾げるような作品もあり、これが本当に選出されたものなの?と疑問をもつこともあります。
それまで私は、映画とは人の批評を読んでから観に行くものだと思っていたので、世界中から集められたドキュメンタリー映画をお腹が減るまで観ていくというのは初めての体験でした。
睡魔に襲われても、退屈なシーンにじっと目を凝らし続ける。
それは、監督の内的体験の歩調に自身の歩幅を合わせていく感覚です。
普段は遠くに住んでいる見ず知らずの人物の視覚イメージが私の中の内的イメージを喚起させ、さらに別のイメージや印象を作り上げていくというのはとてもスリリング。
そういった意味で作品に良し悪しを付けることは、私には難しくなっていきました。

夜になると香味庵クラブと呼ばれる交流スポットで、その日に観た映画をビール片手に皆が話し合います。
監督と観客の立場を気にすることなく話ができる、とても居心地のいい空間で、『生まれたのだから』のジャン=ピエール・デュレ監督からは制作秘話なんかも教えて頂きました。
こんなに楽しい映画祭ならいつか監督として参加したいと、考えていたのが2年前です。

今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭は2011年10月6日〜10月13日に開催され、映画『女として生きる』は10月8日10:00から上映予定です。
当日は挨拶のため会場へ向います。
緊張してガチガチに固まっていると思いますので、会場でお声をかけていただけると嬉しいです!
今年も山形から世界を想像していきたいと思っています。

香味庵クラブで会いましょう!

タイラ・バンクス・ショー『Gay Kingdom』

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 30-06-2011

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男性的なゲイ、トランスジェンダー女性、男性的なレズビアン、ドラァグ・クイーン、女性的なゲイ、バイセクシャル、女性的なレズビアンが『Gay Kingdom』に招かれ、社会で直面する課題について語りつつもその中でヒエラルキー構造を作り、結果として誰が『Gay Kingdom』のコミュニティから排除されるかを検証するバラエティ番組。LGBTQを代理するのがこの7人であることに対する批判は免れ得ないと思うけれど、テレビでジェンダー/セクシュアリティを語る場さえ限られる日本の状況からすると、考えさせられる場面は多い。

リアル『ぼくのバラ色の人生』

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 30-06-2011

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若干7歳のトランスジェンダーHaileyの物語

ジュールズ・ロスカム監督『トランス物語に抗して』

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 24-12-2010

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2010年9月、大阪と京都で開かれた関西クィア映画祭2010に参加してきました。長編短編合わせて11作品ほど観ることができ、刺激を受けたのですが、そこで印象に残ったジュールズ・ロスカム監督「トランス物語に抗して」(2009年)について少し書いてみたいと思います。

あらすじ

「これがトランスジェンダーだ」と言うとき、「私たち」の中の誰が優遇され、また無視されているか。世代・人種・階級・文化の違いには注意が払われているか。FtM(Female to Male)の「男らしさ」についても、トランスたちを一定の方向に誘導する社会的な状況がある。ホルモンや医療的措置を入手するため、医療によってつくられた「物語」を「学ぶ」トランスたちもいる。監督は、トランス1人1人の個人史から「FtMの男らしさ」も多様であることを描く。そしてフェミニストやクィア達、トランスたちの自由な会話を通じ、私たち1人1人がより深く理解し合う可能性を探る。

この映画を観て、まず最初に思い浮かんだのは友人から聞いたFTMの方の話でした。その友人によるとその人はサッカーが好きで、男性としてサッカーチームに所属しているそうです。しかし、そのチームでは男性から少し距離をとられている、ということでした。今度は、仲のいい男友達にその話をしてみました。するとその人は、MTFもそうだしFTMもそうだけれど、トランスジェンダーの子はあくまで映画や本や漫画などで理想化され偶像化された異性像を手に入れようとしてるんだよ。だからFTMとカミングアウトされた場合も、例えば少女漫画から抜け出してきた小奇麗な男性像だったりすると、現実離れしていてちょっと戸惑ってしまう。」と言っていました。

『トランス物語に抗して』では、メディアによって流布されたステレオタイプのトランス像、(例えば、幼い頃から性違和をもっていて、胸を隠すために猫背だった、男らしくなりたくてホルモン療法を開始、胸は切除、今は髭も生え揃い彼女がいる。)に対して、1人1人の個人史から「FTMの男らしさ」の多様性を描くという内容です。FTMと括られてはいても世代や人種、育った階級や文化が違えば自ずと生活も異なるということです。

細かい話はうろ覚えで申し訳ないのですが、一つこんな例がありました。今まで一緒にフェミニストとして活動を続けてきたのになんで、生まれもった肉体を傷つけて男になりたいのか?理解できない。と言われたFTMの方がいました。そこから自分の話を始めるのです。私は、以前ショーパブで働いていた時に「もっとニューハーフらしくしなさい。」と言われたことを思い出しました。フェミニストであることとFTMであることは両立しますが、どのコミュニティ内でも傾向化されている「FTMらしさ」「MTFらしさ」また「女らしさ」があります。それは世間一般に優遇される「男らしさ」の神話の縮図でもあるでしょう。

この映画がさらに面白いのは、医療によってつくられた「トランス物語」を「学ぶ」トランスたちがいるということです。

私は16歳から18歳にかけて、GID診断を受ける為に精神科に通っていました。診断書がなければ、ホルモン療法も外科手術も受けられないと聞いていました。女性として生きるには、男性としての成長をなるべく早く止める必要があるため、図書館へ通いGIDの判断基準とされるバウムテストやロールシャッハテストの結果を覚え、診察室へ通いました。バウムテストでは去勢願望の表れとされる、折れた細い木や、葉の茂っていない木を描き、またロールシャッハテストの墨汁のようなシミは女性器に見えると、間違えないよう答えていました。逆説的ですが、多くのトランスと同じように第二次性徴に対し恐怖と危機を感じていました。

精神科を受診する事で、私はある種の「MTFらしさ」を身につけたのだと言えます。

結果としてGID診断は頂きましたが、ホルモン療法を受けることのできる年齢20歳に達していなかったため、また違う病院へ移されることになりました。FTMもトランスジェンダーも、また男性と括られる人々もそれら言葉から連想される特徴は、あくまで想像のものでしかありません。集団になればなるほど、一人の特徴は意識されなくなり、一律なものでまとめやすくなります。ですが、二重国籍者やバイリンガルが一目で分からないように、細かな差異は一人一人の内に備わっています。

ジュールズ・ロスカム監督『トランス物語に抗して』(2009年)はとても共感できる作品だったので、ぜひ多くの人にも観て頂きたいです!

隠されたコード

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 30-11-2010

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更新頻度がやたら少なくて申し訳ございません。

映画の方はできあがりつつあり、年明けには完成する予定なのですが、その前に相方と引越しをすることとなり、そちらの作業を慌ただしくしていました。家の中を片付けながら二人で不動産屋へ行き、申し込みの書類を提出してきたのですが、その中に相手との関係を記入する欄がありました。不動産屋には外見上、ヘテロセクシャルのカップルに見えたようなので、その人の言う通り「婚約者」と書きました。

しかし、私はドキュメンタリーでジェンダーを問題にしていることもり、疑われることなく自身が女性と判断されることには、望んでいる反面、ジェンダーの移行過程を抹消されるような気持ちになり、反撥をおぼえます。それは、社会的通念として確立されたジェンダーコードがあるため、移行過程で『気持ち悪い』だとか『男か?女か?』だとか、『やっぱり思った通り』だとか、そのように言われてきた経験を思い出すからです。

その後、住民票を提出したのですが、その住民票には

* 氏名 * 出生の年月日 * 男女の別 * 世帯主との続柄 * 戸籍の表示 * 住民となった年月日

などが記載されています。

私は公的な場(役所や病院や面接など)では常にカミングアウトを迫られることを考えながら生活をしているので、その時は出鼻を挫かれたような気持ちになりました。国内の法律上、今のまま結婚することはできませんし、どちらかというとルームシェアという立場に二人の関係は近いのでしょう。「婚約者」という捉えられ方には、少なくとも違和は感じます。この時は住民票の性別欄に不動産屋は目も通さず、印鑑証明のみでした。これはたまたまでしょう。

社会的通念として確立されたジェンダーコードのため、他のLGBTQIを自認する当事者の場合、一時的だとしても不快な思いをされたことがあると思います。婚姻制度を前提として付き合きあうこと自体が難しく、そのため、友人同士と書かざるを得ない時や、無理にジェンダーを装うこともあると思います。

それは不動産業界の封建的な制度で、ハーフの人や、外国籍をもつ人、収入証明を提出できない人も同様です。制度的なバリアによって、本来すべての人がもっているはずの微細な特徴、身振りや身体、アイデンティティを一元化単純化させる。個体識別のイデオロギーは常に働いているといえます。

ですが、婚姻制度や戸籍制度などを、明日にでも廃止すれば解決するという問題でもありません。私はできるだけ社会の中で、隠され上塗りにされ常識とされ総合化され暗黙の了解とされているコードに疑問を投げかけ、それを多くの人々に問い直す機会を作ることが出来ればと思っています。