『ブレンダと呼ばれた少年』を読んで

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 10-09-2010

0

5150YJAF4BL散々議論し尽くされた感のある、ジェンダー・スタディーズの基本書籍。

性科学者ジョン・マネーは、半陰陽者の性別適合手術の成功実績から、割礼の失敗によってペニスを失った双子の男子の片割れ、デイヴィッドに性転換手術を行う。「生後18ヶ月(後に12ヶ月と改める)以降、性自認は環境によって決定されていく」という主張をもつマネーは、母親の体内でテストステロン(男性ホルモン)シャワーを受けた女子でもトムボーイ症候群(やんちゃ系)女子として十分社会適応可能だとしている。

もう一人の性科学者ミルトン・ダイアモンドは、モルモットを通じた実験から胎内でのホルモンシャワーの結果、外性器は分化、それと共に先天的に性自認も分化する傾向にあると唱える。「完全に男性である正常な子供が女性として育てられ、成功したという実例はひとつも提示されていない」と主張するダイアモンドは、ブレンダは後日デイヴィッドと名を改め、男性性を獲得したのだとマネーを糾弾する。しかし、解剖学的性が複合的な半陰陽は性自認もモザイクであり、トランスジェンダーはさらに例外としている。

この本を読んでまず思うのは、マネーの理論による性転換治療とブレンダのアイデンティティ形成は乖離した問題としてある点だ。

ブレンダは生後八ヶ月でペニスを失った後も半強制的な「病院」通いを、また薬物療法を受けていた。ブレンダは女子として生活していた時から、立って用をたす、男子と喧嘩が絶えない、また女生徒を思い通りに取り仕切るなどあからさまに行動が目立っていた。そのせいもあって、ブレンダは学校や幼稚園で女子として認識されつつも常に目立ち続け、虐められてもいた。そのことに関して母親は、女の中にこそ私利私欲かつ乱暴な者も多いとし、ブレンダの立ち振る舞いがそれほど固有のものだとは感じてはいなかった。十四歳になり、ブレンダは生殖能力こそないが男子として生き直す決心をする。しかし、それでも社会的性役割としての「男性性」を生きるには葛藤が絶えなかった。三十八歳の時、妻との離婚を引き金となり自殺をする。

マネーにとってブレンダの件は例外として扱われたが、それ以上に、第三者が勝手にブレンダを「女子」として、あるいは「男子」として生活環境を整え、論証や傾向で、セクシャル・ジェンダーを規定する傲慢さがこの書籍から漂う。例えば、インターセックスの子供の性器を第三者が医療として切り刻むのが誤りなのは、「間違った性別で生きる危険があるから」ではなく、当事者に精神的・身体的ダメージをまたコンプレックスを植え付けるからであり、何より自己決定権を侵害することが理由にある。そもそも社会生活を営む上で、性でなくとも自己基盤の揺らぎで困惑する人々は数知れない。マネーが非難されるべきは、その非倫理的な医療体制にあるだろう。

ダイアモンドはのちに「人は出生時において、あらかじめ心理的性別に関する差を有している」という立場を取り、次にトランスジェンダーを説明する上で「性自認や性指向に関する疑いをもったら、オープンかつ十分に話し合い、情報を得た上で、成長後であっても性別を変更して構わない」と提唱している。つまり、ダイアモンドは先天的に性自認がホルモンシャワーによって決定されるが、後天的環境によってそれも変わりうるのだと言っている。

ということは、全ての人々はこの先トランンスジェンダーになる可能性があるということだ!

マネーあるいはダイアモンドの性自認形成の先天性/後天性どちらを支持しようと、これからはその後の性役割選択に対する社会保障をどう整えるのかという点に問題が集まるのではないか。

現在、国内のトランス女性はいくら外見がよかろうと、性別適合手術を行わないかぎり戸籍が変更されることはない。米国の刑務所では外性器で性別を判断するため、トランス女性が収監者仲間にレイプされ、身の危険に晒されることも少なくない。イタリアではその状況を鑑みて、トランス専用の刑務所がつい最近開設されたりもしたそうだ。

メッセージ

Posted by eba_ko | Posted in エッセイ | Posted on 03-09-2010

1

私は性別違和で悩む多くの人と同様に、幼少期から自身の性別に、また二分された性役割に対し違和感をもっていました。生活上不便に感じ始めたのは第二次性徴の始まる中学三年の頃、身体的変化の混乱と精神面の苦悩から、男子校を中退しました。高校の期にあたる三年間は受験勉強の傍ら、大学病院やメンタルクリニックで精神療法を受けてきました。十七歳から医師の診断と関係なく個人で女性ホルモン剤を飲み始め、以後現在まで医師の観察下でホルモン療法を行っています。

セクシャルマイノリティとして分けられる人々は、性に関する何らかのことで常に問題を抱えているのではないでしょうか。それは容姿や恋愛、家族や友人付き合い等、より一般的な悩みから、各種カード等の公的手続き、戸籍、就職、教育、医療まで様々です。例えばトランスジェンダーの場合、性別を移行する段階ではコミュニティや同境遇者、医療機関の支えがないと、アイデンティティの帰属意識から周囲の受容まで常に困難が付き纏うでしょう。現状のガイドラインではホルモン治療が第二次性徴を過ぎた二十歳前後と定められているため、保険の利かない高額な手術費を稼ぐために、若いうちからパブやヘルス等の仕事に従事する人も少なくないと思います。トランスジェンダーにとっての医療ガイドラインは当事者のためにではなく、受け入れ側の社会のためにさえあると感じます。

私は様々な同境遇者に会って話をするうち、当事者によるトランスジェンダー映画が必要だと感じました。自身の体験を被写体に投影することは恣意的な映像にもなりかねないと思いましたが、雑多なメディアで一括りにされがちな個人レベルの現状を取材できるのではないかと考えました。私はこの映画を作ることにより、メディアの排出し続けるキッチュな「セクシャルマイノリティ」像に一石を投じ、より多様な人々が生き易い社会に、また次の運動へと繋げていきたいと思っています。