Posted by eba_ko | Posted in 製作日誌 | Posted on 31-10-2010
0
半年を過ぎた頃にはモカちゃんの他に、しゅがーさんとあやさんの取材も加わっていたため、撮りためたテープは四十時間を越えていました。それまでどう映像を構成し、完結させるのかはほとんど何も考えていなかったので、とりあえず浦上と共にテープを見直すことを始めました。テープチェックは、今までも撮り終えて一週間以内にはしていたのですが、それまでは二人の画の統合性や技術(パンやクローズアップ)についての話ばかりだったので、その際に映画の始まりと、方向性・切り口などを決めていきました。完成時に取り入れられる素材は二時間弱なので、多くの展開を期待するより、『ジェンダー』というテーマに従い、個人のパーソナリティを描いていく、会話とインタビューを軸にした作品を目指すことになりました。結果として、取材全体の百分の一ほどの素材が映像作品として残ることになりそうですが、ドキュメンタリーの特性を知る上ではいい機会になったと思います。その後は撮影も私と浦上が主体となってする以外に、モカちゃんにもお願いすることがあったため、立場をこえて、カメラ自体が独立した人格として機能していたようにも感じました。すべての撮影が終わったのは、2010年3月10日のことです。
私がドキュメンタリーを通して学んだことは、機材のRECボタンを押して撮れるものと撮れないものがあるということでした。撮影は撮影者と被写体との相互了承と信頼関係によって成り立っています。当然、企画があり、意図があり、目的をもって撮影に臨むのですが、映画の形式にたった要求ばかりを追ってしまうと、撮影者の語りだけが残ってしまいます。全ての映画は一方的なプロパガンダだということもできるでしょうが、もしドキュメンタリーのどこかにリアリズムがあるのだとすれば、製作者と被写体との理解しようにも行き着くことのできない間延びした距離と葛藤、そして想いが揺らぐ瞬間にあるのだと思います。
4月からはポストプロダクションに移り、それまでの資料ノートに目を通しながら84時間分のテープおこしを始めました。映像をみながら一本のテープをwordにタイピングしていく作業は、早くても3時間はかかり、それを一日二本のペースでやったとしても、約100日、7月の中旬までかかりました。現在は、FinalCutProでの荒編集作業が終わり、全体の尺が140分になったところです。今後は2011年の完成に向けた本編集作業を進めていこうと思っています。
Posted by eba_ko | Posted in 製作日誌 | Posted on 01-10-2010
2
こんばんは。
近頃は関西クィア映画祭、ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2010に参加するなどバタバタしていたため、更新が滞っていました。体が一つしかないので、あれもこれもとこなすことが大変なのですが、共に撮影していた浦上も当事者から少し離れた立場で記事を書いてくれるそうなので、楽しみにしています。企画に撮影、構成と共に多くのことを相談しながら進めてきましたが、やはり彼がいなければここまですることは到底できなかったと思います。その話は後日改めるとして、今回は少しドキュメンタリー製作の一年半を振り返りたいと思います。
まず、blogの二つ目の記事にあたる企画概要を書いたのが2009年3月頃。浦上に映画監督の鎌仲ひとみさんさんを紹介してもらい、事情を説明して企画書を読んで頂きました。鎌仲さんは「女として生活したいなら、ただそうすればいいだけの話じゃない?でも、動機はしっかり書けているから撮ってみればいいわよ。」と仰いました。確かに、放射性廃棄物と比べるとジェンダーは社会の問題としての側面より個人の話に陥りやすいと思いますが、私は今まで、トランス過程の中で不登校を経験し、行き場を求めてショーパブやヘルスを覗いてきました。バッシングされ居場所を求めるトランスジェンダーの問題は個人の努力ではどうにもならない社会問題だと実感したことで、このテーマで撮ることを決心しました。撮るといっても、私は映画監督ではないですし、大学で映像製作を習ったといえ素人に毛が生えたようなものです。撮影前のリサーチもポストプロダクションの重要性も分からないので、手探りの中、同じ当事者を探しアポイントメントを取りました。それが、女装ニューハーフプロパガンダを主催していたモカちゃんです。モカちゃんとは以前からネットを通じてやりとりをしていたので、こちらの相談にはすぐ応じてくれました。
2009年3月28日からイベントを撮影してからというもの、モカちゃんから了承が得られればどこでも DVカメラを担いで同行しました。体力に自信がないので三脚こそありませんが、最低限の装備で手持ち撮影を行っていたので、さしずめカメラを持った女です。場所は新宿二丁目と歌舞伎町が主だったので、BARの中や路上で撮影していると、話しかけられることも少なくありませんでした。浦上と協力しながら機材を片付け、適当なことを取り繕って退散した覚えもあります。撮影を進めていけばまたそこで新しい出会いもあり、その都度企画書を渡し、了承を得ながら撮影への協力を仰ぎました。そうしてモカちゃんの他に、8月からあやさん、しゅがーさんが加わりました。ドキュメンタリーは劇映画と異なり確固としたシナリオがないため、私が当初に考えていたような先入観、悪く言えば偏見は悉く裏切られていきました。それもいい意味で、予想とは違う方向へ撮影は進展していきました。モカちゃんのイベントに遊びにくる男性も女性も、MTF(male to femaleの略)もFTM(female to maleの略)も本当に実生活は一概にはいえず、そのセクシュアリティ、ジェンダーの「括り」をまた「枠」をそれぞれの仕方で打ち破っていました。それは驚きの連続でもありました。
最初の四ヶ月こそ、模索しながら撮影を進めていましたが、撮影対象を定め始めた頃から少しずつ、カメラを構えながら会話をすることもできるようになりました。それまではカメラの重さを支えることで精一杯で、帰宅後テープを見直した時に何を喋っているのか、辻褄さえあっていないこともしょっちゅうありました。撮ったテープを見直すことで、指向性のマイクや広角レンズの使用を検討するようになったのもこの頃になります。(ただ重くなることは難点でした。)被写体の方々とはあまり干渉せず、日常を記録していく。そんなことを考えて始めた撮影でしたが、結果として私はとても深く関わっていたのだと思います。人と人との間を駆け巡りながら、カメラと共に旅をする、そんな日々でした。